人生は疲れる

「人生に疲れた」中学生2人が飛び降り自殺 埼玉・久喜

12日午前5時50分ごろ、埼玉県久喜市中央1丁目のダイエー久喜店の
西側駐車場で少女2人が倒れていると出勤途中の会社員(30)から通報があった。
2人は市内の中学校に通う同じクラスの3年生で15歳と14歳。病院に運ばれたが、
2人ともまもなく死亡した。残されていたメモには「生きているのに疲れた」と
書かれていた。

県警久喜署などの調べでは、日記などが屋上に残されており、同署は自殺とみている。
会社員がドスンという物音を聞いて後ろを振り返ったところ、2人が倒れていた。
6階建ての駐車場の6階から飛び降りたとみて動機などを調べている。

同校の職員は「2人ともおとなしく、きちんとあいさつをする普通の生徒だった」と話した。

現場はJR久喜駅西口近くで、事故当時は人通りが少なかった。立体駐車場は24時間
営業で、出入りが自由にできた。

駐車場6階に残されていたメモは「2人の中学生活」という題名がつけてあり、
「生きているのにつかれた」などと書かれていた。

2人は10日夜、14歳の少女の家に泊まった。11日午後3時45分ごろ、14歳の少女が
家族に「(15歳の少女を)家に送る」といって2人で外出、そのまま行方がわからなく
なっていたという。

=====以上、2001/11/12のAsahi.comより

生きているのは疲れる。それは、生きていく上で仕方がないのではないか。と思える。
たくさん資産持って、不労所得で十分暮らせるなら疲れないかもしれないが、
お金持ちの気苦労は、私はお金持ちじゃないので分からない。

死ななければならないくらい辛かったのならば、自殺を否定する気はない私であるが、
こと、心中となると、その二人の意識レベルの辛さの度合いって一緒なんだろうか?
と疑問に思う。

少しでもいいことがあれば、それを少しでも大きく喜んで、幸せな気分に少しなれたら
いいのじゃないか。

単に、ぼくが、ほどほどに疲れて、のうのうと幸せなつもりでいるのかもしれないのだが。
幸せだ不幸だと意識しないで済むのは幸せかもしれない。

人生のリセット、いやリスタートならいいと思うけど、ゲームオーバーには早過ぎないか?
クリアするには初めのステージが難関だったのかもしれない。