リアリティ

NHK、ドラマを修正して放送 殺人シーンがリアル
2006年08月31日10時21分
 NHKは30日に再放送予定だった連続ドラマ「鏡は眠らない」(全5話)の第3話に、少女によるリアルな殺人シーンがあったため、同日の放送を中止した。映像を修正して31日に放送した。場面のカットやセリフの変更はない。

 NHK広報局によると、ドラマは97年に制作、放送されたが、最近の少年による殺人事件を連想させ、「今の感覚で見るとリアルすぎる」と判断した。第4話の殺人シーンも映像を修正する。

http://www.asahi.com/culture/update/0831/009.html

記事読んでて、よく分からなかったのだけど、「リアルな」ってのはリアリティというか、現実感を感じるってなのだろうか。それとも、感情的にむごいってことだろうか。
ぼく自身は殺人事件を起こしたことはない。ので、映像としての殺人のリアリティを語るには、そのベースとなる知識がない。その感覚を知りたくてと事件を起こした人が前にいた気もするが、ぼくは、普段、生きていて、周りに、セミよりもカラスよりもたくさんいる人々が一人一人意識をもって、世界をもってるのだ(ろうな)という、勝手な想像力のもと、そして、そんな人々に関わってる人々がいるのだろうな。ということで、それが怖くて、とても人は殺せない。けど、毎日、人々に迷惑をかけてる。命を少し削っている。
あ、そう言えば、小学生の時に授業の途中に先生に説教されて、例えば5分中断したとして、40人の児童がいれば、200分、ムダにしたことになります。みたいなこと言われたような記憶が。って、この件とは関係ないか。
「今の感覚で見るとリアルすぎる」ってのは広報のコメントなんだろうか。でもって、修正したけど「場面のカットやセリフの変更はない」ってのが意味が分からんのだけど。だれか、責任のある人が出て「私の感覚で見たら、見るに堪えない」ってコメントしたら、まだ理解できるか。現実を目の前にして、殺人現場に立ち会ったことはないけれど、「リアル」に「過ぎる」ってのが訳がわからない。
ぼくは、ちょっとだけ血を吸われたのに、蚊を叩き殺している。豚コマを買って来て、もとの豚を知らないし、流通の経路の人々の苦労を知らない。ぼくがこうしてるうちに、世界は流れていて、命が消えたり点いたりしている。で、こんなこと言う自分はまだ生きているくらいにわがままだ。