分けると、分かる。分別と差別

精神分裂病の名称変更へ 人格否定、医学的にも不適切

「人格を否定するような響きを持つ『精神分裂病』という名称を変えて欲しい」−−。
精神障害者の家族からの要望をきっかけに、精神科医らでつくる日本精神神経学会
(理事長=佐藤光源・東北福祉大大学院教授)が、取り組みを始めた。学会内の
委員会が「社会的にも医学的にもこの名称は不適切だ」として新たな病名案を
三つに絞り、会員に意見を求めている。秋には有識者や一般の人たちを対象に
公聴会も開く。

…略…

新たな呼び方の案は、
(1)原語(ラテン語)の読みをカタカナ表記した「スキゾフレニア」
(2)疾病の概念と診断の確立に功績のあった人名にちなんだ「クレペリン・ブロイラー症候群」
(3)原語を翻訳し直した「統合失調症(統合失調反応)」
の三つ。学会内に設けられた「呼称変更委員会」が提案している。

学会を動かしたのは、93年に全国精神障害者家族会連合会(全家連)が学会にあてた
病名変更を求める意見書だった。

そもそも、「精神分裂病」という言葉には「人間の人格自体がバラバラに分裂している」
というイメージがあるといわれる。全家連が家族を対象に行ったアンケートでは、
「患者は社会一般から『何をするのか分からない存在』と思われている」という意見が
約6割を占めた。家族の約半数が、「病名を変更した方がよい」と訴えた。

…略…

=====以上、2001/08/24のAsahi.comより

当の本人は、どう思ってるものだろうか。無論、家族の方が大変なのはわからないでは
ないが、言葉の字面だけの問題だろうか。どこか、この反応もなんだか、心の病のように
見えてならない。

かつて、似たような事情で「既知外」が排除されたと思われる。実際、この世に対する
世界観の構成が、多少、ふつうの人と違ってしまって、未知の世界の人になってしまう
のだろうから、気が違っていると言って差し支えない気がするというのは、乱暴だろうか。

生きているということは、死にかかっているということであるし。
誰だって、他人と違うからこそ、自分なのだ。

単語を言い換えたところで、それが差別の排除になるのか?
まともだと思っている人々の思い上がりなのではないか。
いや、確かに家族の方は大変だろうし、寛解したあとの本人の復帰も大変なのだろう
けれども。