風去りぬ

作家の山田風太郎氏が死去 忍者小説をブームに

奇想天外な忍法帖(ちょう)シリーズで忍者小説ブームを起こした作家の
山田風太郎(やまだ・ふうたろう、本名・山田誠也=やまだ・せいや)氏が、
28日午後5時30分、肺炎で死去した。79歳だった。葬儀は密葬として
31日午前、近親者のみで済ませた。自宅は東京都多摩市桜ケ丘2の4の2。

22年、兵庫県生まれ。東京医科大在学中の47年に「達磨(だるま)峠の事件」
が雑誌「宝石」の懸賞小説に入選。推理小説作家としてデビューした。
50年代末から「甲賀忍法帖」をはじめとする忍法帖シリーズを発表し、
ブームになった。

その後、「幻燈辻馬車」「明治波涛(はとう)歌」「ラスプーチンが来た」など、
明治伝奇小説に新境地を開いた。代表作にはほかに、敗戦の年の1年間、
1日も欠かさずにつけ続けた「戦中派不戦日記」や、1000人あまりの古今東西
の著名人の死に際を描いた「人間臨終図巻」がある。

晩年は糖尿病や白内障、パーキンソン病などを患った。94年から96年にかけて、
入院による中断をはさみながらも、病気と向き合う日々のことを、朝日新聞家庭面
の連載エッセー「あと千回の晩飯」などに軽妙な筆致で描き、好評を博した。

今年3月には日本ミステリー文学大賞を受け、授賞式に妻の啓子さんと車いすで出席した。

=====以上、2001/07/31のAsahi.comより

はて、さて風老人の臨終図巻は、どんな感じだったのだろう。

都合二千五百回くらいは、晩飯食べられたのだろうか、別に大食というわけでは
ないけど、料理を食卓の上にたくさん並べるのがお好きだったと聞く。

酒もタバコも好きにやって、ついに往生されたらしい。

私は、彼の小説は読んだことがない。これから読んでみようかしら。

なんとなく私淑する師匠が一人いなくなった感じ。