アニマル・アタック

生きていく上で、手が汚れるのは仕方がない。汚れたら洗えばいい。だけど、汚した記憶は残る。ぼくは、人の命のやり取りはしたことがないけれど、虫や動物の命は奪ってることは自覚しているし、人の時間も奪っている。
にしても、ジョブスの動きが江頭っぽかったな。マニアな人のことを理解するのは大変なのである。バチ当りという科白があったが、バチがあたるのはそれを信仰するもののみであろう。
設定年齢的には、ぼくは、ホランドよりデューイ寄りである。チャールズとのやり取り以降、ホランドは変わったな。俺が言っちゃ何だけど、大人な感じがするな。と思う。で、デューイは、良いのか悪いのかはわからんが、意思の力を感じるな。
でもって、共感してるのは実際、エウレカの肩が触れた腕に全神経を集中するレントン君だったりするぼくだ。
今まで、なんだか分からなかったコーラリアンが実体化した姿もなんだか分からないのだけど(エウレカはかろうじて人の形をしているから、分かった気がするのか?)百鬼夜行というか、おばけというか。化けるというのは、お手本があって、その振りをするのもあるな。そういや、レイさん、エウレカのこと化け物って言ってたな。
黒い玉が出てきて、その分、ものが持ってかれるって表現は、人の心の元型にあるのかなぁ。最近だと、『ファフナー』でフェストゥムの攻撃方法であるとか、少し前だと、コミックで『七夕の国』で見た表現だ。
『クテ』と呼ばれる球体はゲートなのだそうだ。ゲートの向こうとは理解しあえるのか。共存できるのか。
ふと、現実を考えてみると、地球の上で、人々は別の言葉を話し、理解するのが難しい。そもそも、ぼくは話しかけているか?と思う。
目の前に助けを求めている人がいる。だけど、助ける力がないのに、自分の問題も解決してないのに、助けに行くのは、ある意味、判断を他人によった甘えであって、自己犠牲ではない。しかし、自分が完成するのを待っていてはなにもできない。今、自分にできることはなにか。ということか。