てつはう

元寇の火薬武器「てつはう」発見 長崎の沈没船調査で

13世紀の元寇で沈没した元寇船の水中調査を進めている長崎県鷹島町教委は
19日、元軍が使ったとみられる火薬武器「てつはう(てっぽう)」が、
完全なかたちで初めて見つかったと発表した。また、元寇船の外板、マストの
台などの部材や、矢の束などの武器類もまとまって発見された。これまでは、
絵巻物や文献などから推測していた元軍の装備が具体的に裏付けられ、元寇
船を復元するうえでも重要な手がかりになりそうだ。

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1281年の弘安の役では、暴風雨で約4400隻の元寇船が同町沖で沈没
したとされる。

「てつはう」は3点見つかり、直径14センチ、厚さ1.5センチの陶製で、
中が空洞の球形。1点は完全な形をとどめていた。鎌倉武士の活躍を描いた
絵巻物「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」に描かれており、
火薬を詰めて、船から海岸へ投げるなどして、さく裂させた当時の新型
武器とされる。93年に破片が同町沖で拾われた例はあるが、今回の発見で
これも「てつはう」と確認された。

矢は数十本が束になっており、太刀など刀剣類8点もあった。

船の部材は密集していた。大型の部材は厚さ10センチ、幅45センチ、
長さ2〜3メートルの外板3点と、加工跡がわかる長さ1.3メートルの
マスト台1点。同海域では、これまで複数の碇(いかり)や船体らしい部材
2点が見つかっていたが、これだけまとまって確認されたのは初めてになる。
今後の調査・研究次第では、船復元の可能性も高いという。

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=====以上、2001/10/21のAsahi.comより

蒙古襲来といえば、「てつはう」と「神風」ってくらい印象深い、
「てつはう」っていう字面がなんとも、こう、印象が強い。「シウマイ」
みたいだ。

13世紀くらいに海を渡って、他国に戦争をしかけに行く兵隊の気分は
どんなだったのだろう。好戦派だったとしても、戦争よりも、その戦場に
行くまでの航海で遭難する可能性だって低くはなかったのではないか。
全員等しく戦死なんだろうか。暴風雨で4000隻以上が轟沈したのならば、
その風景、を想像するに、攻められている方としては、神を思ってしまうに
違いないと思う。