Mucciファンド バンビ祭り

全面安の大波の中で、バンビさんは一部指定替え祭りなのか、跳ねてくれた。
でも、全体の大波に比べると、お祭りは波とまでは行かんのかもな。と思う。明日の祭りのあとに対する、全体の波のゆり戻しのどちらがでかいやら。
とりあえず、今日のところは、バンビさんのおかげで、トータルマイナスだけど、TOPIXには勝った。

70年代生まれ

貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!? (PHP新書)

貧乏クジ世代―この時代に生まれて損をした!? (PHP新書)

生まれたときには万博のお祭りは終っていた。社会人になる頃にはバブルははじけていた。まぁ、それでも、それなりに今まで、そう悪くない人生だったし、これからは、これ以上良くなることはないんじゃないかな。
みたいな悟ったようなことを言う人が、私の世代なのだろうか。ぼくは、1970年生まれである。感覚的には、たしかに、苦労はあまりしてないし、万博記念公園の太陽の塔は、なんだこれは的に実感なんだけど(って、それは私が近くにいたからか)、万博自体は実感がない。
バブルもそうだね。当時は、F1の中継を熱心に見てたかね(バブルがはじけたのと、アイルトンが逝ったのと、どっちが先だっけか)。と思うくらいで、自分が社会に出る頃には、はじけ終ってたし。
と個人的な思い出を言ってもなんだけど、そういう世代観ってあるのかもな。と思う。
あら、今日、ホリエモン逮捕されたね。そか、ホリエモンって言うくらいだから、70年代はドラえもん世代なのかな。サザエさんは世代を超えてるしな。ガンプラ世代っていうと、男の子寄りで、1970年をまたぐかもしれんね。ファミコン世代っていうとどこなのだか、自分が持ってないので知らない。
個人的には、世代観、あるのかなぁ。うっすらあるかもしれないけど、どこに線があるのかなと思う。自分の前後の歳の人たち見てても、世代より個性の方が強く見えるので。

超は壁が高いのか、壁を越えるのか

超バカの壁 (新潮新書 (149))

超バカの壁 (新潮新書 (149))

三匹目のドジョウである。二匹目よりはつかみやすい。だけど、養老先生の書いた本とは文体が少し違う。それがいい悪いというわけではない。
本が売れたら人生相談が増えたという。先生の本を読んだ人なら、くり返し語られている言葉であるが、たぶん、質問者はおよそ予想通りに言うのだ。「じゃぁ、どうすればいいんですか」ああすればこうなるな答えを求める人が多いらしい。
自分もたまに言ってしまうのだけど、「どうしましょうか。」は相談だけど、「どうすればいいんですか」は盲従であろう。で、「お前は、どうしたいの」と突き返されて、振り出しに戻る。いや、つき返されたという事実が、そして、失った時間が、振り出しであるかどうかも分からず、自分自身も変化している。
にせよ、仕事というのは社会に空いた穴を埋めることだ。ってことは分かった。その穴が自然に空いたものなのか、誰かが掘ったものなのか。わかんないけど、穴が空いてると困る人が、たぶん、いるはずだ。
結局、自分で考えろってことか。
そういや、今日の仕事からの帰り道。飼い犬の散歩をしているおばさんが、まだ残っている雪をなめようとするワンちゃんに、「やめなさい」。雪の方に向かうワンちゃんに「滑るから気をつけなさい」と話しかけていました。
今朝は、小学生の子らが、わざわざ滑るのに、雪の残った凍結した階段の方を歩いて、「危険度、何%」とか言いながら楽しそうでした。そんなことしてるのは、どちらか言うと男の子の方が多かった気がします。
最後に、タイトルの「超」は、今風にフラットに発音するのですかね。