超は壁が高いのか、壁を越えるのか

超バカの壁 (新潮新書 (149))

超バカの壁 (新潮新書 (149))

三匹目のドジョウである。二匹目よりはつかみやすい。だけど、養老先生の書いた本とは文体が少し違う。それがいい悪いというわけではない。
本が売れたら人生相談が増えたという。先生の本を読んだ人なら、くり返し語られている言葉であるが、たぶん、質問者はおよそ予想通りに言うのだ。「じゃぁ、どうすればいいんですか」ああすればこうなるな答えを求める人が多いらしい。
自分もたまに言ってしまうのだけど、「どうしましょうか。」は相談だけど、「どうすればいいんですか」は盲従であろう。で、「お前は、どうしたいの」と突き返されて、振り出しに戻る。いや、つき返されたという事実が、そして、失った時間が、振り出しであるかどうかも分からず、自分自身も変化している。
にせよ、仕事というのは社会に空いた穴を埋めることだ。ってことは分かった。その穴が自然に空いたものなのか、誰かが掘ったものなのか。わかんないけど、穴が空いてると困る人が、たぶん、いるはずだ。
結局、自分で考えろってことか。
そういや、今日の仕事からの帰り道。飼い犬の散歩をしているおばさんが、まだ残っている雪をなめようとするワンちゃんに、「やめなさい」。雪の方に向かうワンちゃんに「滑るから気をつけなさい」と話しかけていました。
今朝は、小学生の子らが、わざわざ滑るのに、雪の残った凍結した階段の方を歩いて、「危険度、何%」とか言いながら楽しそうでした。そんなことしてるのは、どちらか言うと男の子の方が多かった気がします。
最後に、タイトルの「超」は、今風にフラットに発音するのですかね。