地元意識

硫黄島「いおうじま」から「いおうとう」に 国土地理院
2007年06月18日19時46分

 第2次世界大戦の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」へ変えると国土地理院が18日、発表した。戦後も帰島かなわぬ旧島民の心情に配慮し、村が変更を要望していた。市販地図や教科書の基になる2万5000分の1地形図の図名が9月から改まる。

 硫黄島には戦前、約千人の島民がいて「いおうとう」と呼ばれていたが、戦時中、全員が強制疎開に。戦後、米軍が「いおうじま」と呼び、都や村もこれを標準呼称として公報などに載せたことから、地理院も82年から「いおうじま」を使ってきた。

 村は昨年3月、地理院に旧称への変更を要望していたが、同12月公開のクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島(いおうじま)からの手紙(原題はLETTES FROM IWO JIMA)」のヒットで、旧島民らの間で、改めて本来の呼称を使いたいとの声が高まった。村は都の承諾を得て、村長が地理院に直訴。地理院は18日、海上保安庁と合同で地名修正の連絡協議会を開き、「現地の現称が原則」として変更に踏み切った。

 母が旧島民の森下一男村長は「旧島民は戦争で故郷の名前を奪われ、複雑な思いを抱いてきた。遺骨収集などのたびに話題となっており、変更は大変うれしい」と話している。

http://www.asahi.com/national/update/0618/TKY200706180294.html
自分は、当事者じゃなく、また、硫黄島が意識にのぼるのは、件の映画があればなんだけど、へぇ、そうなのか。もともとの地元の呼び方より、米軍が使っていた呼び方が使われてたんだ。共感するには、心の機能がどうかしている私なのだが、そうなのか。と思った。

「鉄系」集まれ、巨大商店街が尼崎に
2007年06月18日

 大型商業施設の1フロアをまるまる使った“鉄道ショッピングモール”が今年7月、兵庫・JR尼崎駅前の再開発街区「アミング潮江」にオープンする。鉄道模型や鉄道関連書籍・グッズの店舗のほか、大阪城や金閣寺、神戸ポートタワーなど関西の名所を配置した「レイアウト」(ジオラマ)は、広さ140平方メートルと「西日本最大」という。(アサヒ・コム編集部)

http://www.asahi.com/komimi/TKY200706160210.html
こちらは、自分の故郷ではあるのだが、鉄っちゃんじゃないからか、尼崎の中でも、自分は阪急沿線で、JR尼崎とはあまり縁がなかったという超個人的ローカル意識からか、目には留まったが、共感にいたらない自分がここにいる。