社会的な男性

「痴漢容疑」の男性、乗客の警官らに取り押さえられ死亡
2005年12月20日13時42分

 20日午前7時半ごろ、大阪市天王寺区のJR天王寺駅のホームで、JR阪和線の日根野発天王寺行き快速電車から降りてきた大阪府和泉市の女子短大生(20)が、同じ電車に乗っていた男性に「触ったでしょう」とただし、痴漢の被害を訴えた。男性が否定して逃げたため、乗客として居合わせた警察官ら4人が取り押さえた。しばらくして男性はぐったりし始め、病院に運ばれたが、間もなく死亡した。男性に目立った外傷はなく、天王寺署が死因を調べている。

 同署は男性は和泉市に住む会社員(40)とみて身元を確認している。

 調べでは、男性はホームで短大生に肩をつかまれた後に逃げ出し、前方に居合わせた通勤中の八尾署の巡査部長(32)が男性の背中を押し倒した。転倒した男性はさらに逃げようとしたが、通勤中の西成署の巡査部長(29)と会社員ら計4人に押さえ込まれたという。男性は初めは暴れたが、そのうちぐったりし始め、意識を失ったという。男性は1時間余り後に病院で死亡が確認された。


http://www.asahi.com/national/update/1220/OSK200512200041.html

「否定して逃げたため、」「取り押さえた」とある。もちろん、痴漢は社会的に悪である。じゃぁ、逃げなければ良かったのか。この手の報道で思うのは、人の中には「容疑をかけられる」というだけで、非常に拒否反応を示す当人がいるということである。中立な報道を目指すのはもちろんだけど、報道は事実だけを報道するのでなく、評論や意見も入るのだからややこしい。報道が意見であるならば、客観的なわけがない。
いや、マスコミの批判をしたいのではない。今回は容疑者は死亡している。冤罪であるならば、痛ましい話であるし、有罪だとして、命がけの痴漢ってのはありなのだろうか。と思う。いや、容疑者を擁護したいわけではない。
たとえば、私は、やらしい。しかし、なんらかの具体的な行動にはでない。むしろ、誤って痴漢と言われないように、基本的に、混雑した電車はまず避けるし、ま、男性と密着するのも好きではないが、女性が同じ車両の私の周囲にいるような状況は避けたい。社会的人として、この混雑した電車は我慢するべきなのかもしれないが、人として、いや、自分としては、ヤだ。
私は単語として、男性、女性という表現が、社会的にひどく生々しいと感じる、単なるスケベだということかもしれない。そういや、自分は比較的「男の人」「女の人」もしくは、「男の」「女の」という表現を使う。だけど、性能とか性質って単語は平気で客観的なつもりで使う。
にしても、こういうケースってどうやってカタがつくのだろう。